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「無実を訴える被告」市民が目の前の生身の人間を裁かねばならない・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 SMAPの木村拓哉さんが検事に扮する映画「HERO」で、天秤を手にした目隠しの像が何度か出てくる

 司法・裁判の公正さを象徴する「正義の女神」である。右手には社会の悪徳から守る「剣」を持ち、左手には善悪を測る「天秤」。目隠しは、貧富や姿形など、予断から判断が曇るのを避けるとの意味が込められているという

 裁判が神の審判とされた古代や中世では、目隠しはなかった。目隠しをするようになったのは「法の平等」の概念が生まれた近世以降という。神に代わり、「人」が「人」を裁くには、目の前の物事に惑わされない理性が必要ということらしい

 目を閉じて考えてみる。殺害された幼い被害者がいる。残された遺族の悲しみがある。それを天秤の片方に載せ、それに見合う罰をもう片方に載せていく。その時、「許せない」という感情を理性で抑えることができるだろうか

 無実を訴える被告がいる。物的証拠も乏しい。判断を誤れば、被告の人生は大きく狂ってしまうかもしれない。自分ならどう判断するか。人を裁くことがいかに難しいのかをあらためて思う

 市民が司法参加する裁判員制度がきょうから始まる。裁判官とともに、市民が目の前の生身の人間を裁かねばならない。「女神」の精神を胸に誓うも、不安、迷いも消えない。(稲嶺幸弘)

 大弦小弦 沖縄タイムス 2009年5月21日 
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