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「慰霊の日」ヌーヌアティン イクサヤ ナイビランドー・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 人のしを悼む気持ちは誰でも同じ。でも、そのしの意味を考えるところで違いが出てくる。そう整理するしか方法がない

 23日の「慰霊の日」、摩文仁を含め沖縄戦最後の激戦地、本島南部の戦跡を訪ねてそう思った。追悼式典が開かれた会場の奥に位置する丘陵地に林立する各県の慰霊塔。かつて問題になったような戦争を美化する碑文はそれほどない

 でも別の地には「優勢なる米軍に対し熾烈なる砲火をあびせ(略)住民とともに勇戦奮斗せる我が軍は(略)悠久の大義に生く」といった文言もある。戦しを意義づけたい気持ちが人情なのか

 一般参加者にとっての主会場は式典会場のテントより「平和の礎」だ。高齢を押して杖をつき足を引きずりながらも肉親の刻銘を探す姿は痛々しい。名前を見つけ手を合わせると安心したような顔になる。木陰に座り思い出話をする

 お国のためというのは企業のために働き過ぎて体を壊すみたいなもんだ―。吐き捨てるような言葉。「ヌーヌアティン イクサヤ ナイビランドー(何があろうと戦争はごめんですよ)」とも

 こうした沖縄の遺族の偽らざる言葉と碑文の間に温度差を感じる。戦しを意義づけるあまり戦争への反省がなおざりにされてはならない。慰霊の日は、15年戦争を振り返り、反省する日でありたい。(真久田巧)

 大弦小弦 沖縄タイムス 2009年6月24日 
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