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幼子があまりにも不憫、育児放棄の果てに起きた悲劇、やりきれなさばかりが募る・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 歌人の河野裕子さんに、幼いわが子を思う親心を詠んだ一首がある。〈朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの〉

 顔を見て、名前を呼び、抱きしめてあげる。片時でも目を離したら、わが子はどこかに行ってしまうかもしれない。人の親ならば、自然な心情であろう

 何故、幼いわが子を1カ月余りも放置したのだろうか。先月末、大阪市西区のマンションで起きた幼い姉弟が遺体で見つかった事件の続報を聞くにつれ、やりきれなさばかりが募る

 今回も、隣人が異変に気付き、児童相談所に通報したが、適切な対応ができず、幼い命を救えなかった。法律や制度の限界があったにせよ、「わが子だったら…」と思って対応していたら違った展開になっていただろう

 事件は逮捕された母親の育児放棄の果てに起きた悲劇である。悲惨な結末よりもショックだったのは、「1週間ぐらいしてからはシんでいるかもしれないと思っていた。でも助けなければという気持ちにはならなかった」との母親の言葉だ

 河野さんには育児の喜びを詠んだ歌もある。〈しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合わせ〉。逮捕された母親にも心からそう思える時があったはずである。そうでなければ、二人の幼子があまりにも不憫(ふびん)である。(稲嶺幸弘)

 大弦小弦 沖縄タイムス 2010年8月5日 
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