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掌「たなごころ」世界の心をつなぎ扉を開く鍵でありたい・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 一昨年亡くなった作詞家の阿久悠さんは、自分の手が小さいことに何かしら引け目を感じていた。小さな手は掴(つか)む物が少ないと感じ、大きな手の人と握手したときに怯(ひる)むこともあったらしい

 しかし、小さな手が編んだ5000曲以上の詩で、多くの人の唇は喜びに弾んだ。「大きな手の人に掴み取る分量で負けるが、世界を開く鍵だと思うと、大きさは関係ない」(「“手”をめぐる四百字」文化出版局)。名曲を生み出した作詞家らしい

 先日、交通事故の後遺症で手話に影響が出たなどとして争われた裁判があり、名古屋地裁は「手話は言語活動」と認めた(本紙26日紙面)。手話が話し言葉同様という意義ある判決だった

 聴覚障害者にとって、手話は他人と心を通わす数少ない手段。手話が分からぬ身にとっては、左右の手の動きは舞のようにも見え、言葉が発せられているかと思うと、神々しくもある。判決が障ガイ者への理解を深めるものであってほしい

 「たなごころ」とも読む掌(てのひら)。手には心が宿るのだろう。開けば包むぬくもり、握れば拳の強さにもなる。ときに乱暴で、ときに艶(つや)めき、そしていじらしい

 文明の発展に手を尽くし、戦争にも手を染めた人の手。過去を映し未来を探る。使い方を誤ることなく、世界の心をつなぎ扉を開く鍵でありたい。(平良哲)

 大弦小弦 沖縄タイムス 2009年11月30日 
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