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「四十がったり」40歳を過ぎたら、人は自分の顔に責任を持たねば・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 先日読んだ雑誌に「今、40代の男がモテる」という特集があり、思わずページをめくってしまった

 内容は、福山雅治、織田裕二、阿部寛ら40代の売れっ子俳優がなぜ若い女性にウケているのかを解説したものだった。長身でイケメン、加齢臭とは無縁なさわやかさ。大人の魅力に少年っぽい面影も失っていない点などを挙げていた

 同じ40代でも、モテたためしがない身には最近、「四十がったり」という故事が身に染みる。健康な人も40歳を過ぎると急に体力が落ちるという意味で、「がったり」は、がくんと衰えるという意である

 信じたくないが、「初老」とは老化現象を意識し始める年代で、40歳の異称でもある。先の「四十がったり」、視力が衰え始める「四十暗がり」、「四十肩」「四十腰」などの言葉を聞けば、認めざるを得ない

 40代といえば、先人たちが多くの名言も残している。孔子は「四十にして惑わず」と説き、米国大統領として初めて口ヒゲを生やしたリンカーンは、「40歳を過ぎたら、人は自分の顔に責任を持たねばならぬ」と言った

 深酒の翌朝にはきまって、「四十がったり」を痛感し、鏡に映ったむくんだわが顔を眺めてはがっくりする日々。昼飯のメニューさえも即断できない「惑い多き40代」にはまだ、先人に合わせる顔がない。(稲嶺幸弘)

大弦小弦 沖縄タイムス 2010年7月22日 
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