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「あの日」心に傷を負った人々の記憶は日々失われていく・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 65年前の8月9日昼。原爆搭載機「ボックスカー」が長崎上空経由で、地上戦で荒廃とした読谷飛行場に降り立った。わずか2時間前、長崎市内の軍需工場で働く旧糸満町出身の男性は強い光と熱を浴びていた

 「ぽかーんと音がして、ふわふわ、溶接やっているような」。あの一瞬をそう表現している。核廃絶の思いを胸に40年の歳月と私費を投じ、故伊藤明彦さんが全国で拾い集めた被爆者の声に収められている

 「真夏の沖縄の太陽…後ろから、熱くて」。男性は命をつないだが、しばらく犠牲者の「片付け」に追われた。人が豚か鶏かのようだったという。立ったまま絶命した人、水を求め川辺に並んだ人の石垣も目にした

 ふるさとに戻り、一時は「戦果」で生計を立てたが、放射能の影響か、次第に体に異変が起き、家に閉じこもる。伊藤さんの取材を受けたのは復帰直後で男性は51歳

 「沖縄はあんまり米軍基地が多すぎるよ。あの基地を撤去できたら理想的な国になる。日本が核を持つ必要はない。持ったら滅びるよ」。聞き取りはこう結ばれる。男性は健在なら87歳

 オキナワ、ヒロシマ、ナガサキ。「あの日」多くの命が失われ、心にも傷を負った人々の記憶は日々失われていく。それに比べ基地負担の減少、核廃絶への歩みはあまりに鈍すぎる。(石川達也)

 大弦小弦 沖縄タイムス 2010年8月7日 
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