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終着駅だけはちゃんとしておきたい。そうしてからフルに働いて華々しく生きてやろう・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 生前に自らの墓を造るのは今や珍しくないが、俳優の森繁久弥さんはかなり風変わりだったようだ

 大学時代の友人だった石屋の社長を訪ねたのは、昭和25年、森繁さんが30代後半の時だ。初の主演映画「腰抜け二刀流」の出演料を手に頼み込むと、友人は聞いた。「何も、めでたい初主演の収入でつくらなくてもいいのでは…」

 森繁さんはこう言い返す。「拾った後半生に開運のきざしが見えて来たから、その出発に当たって、まず終着駅だけはちゃんとしておきたい。そうしてからフルに働いて華々しく生きてやろうと思うんだ」(『森繁自伝』中央公論社)

 その言葉通り、森繁さんは映画や舞台、テレビ、ラジオなどで幅広く活躍し、戦後芸能界の先頭を走ってきた。洒落(しゃれ)っ気も常に忘れない明るい人柄で、世代を超えて愛された希有(けう)な存在だった

 そんな森繁さんがおととい、96歳で亡くなった。生前に造った自身の墓の隣には、父親代わりでもあった亡き兄・弘さんが眠る。その墓前で、森繁さんは次のような言葉で、俳優としての大成を誓っている

 「思い切ってやって、やって、やりまくって、いっさいの悔いもなく、手ぶらでここに来るつもりです。楽しみに僕を見ていてください」。誓いを果たし、今ごろは、大好きだった兄に優しく迎えられているはずだ。(稲嶺幸弘)

 大弦小弦 沖縄タイムス 2009年11月12日 
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