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芽生えた関心を実体あるものにするには、主体的なかかわりという作業が必要・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 時々映らなくなっていた古いブラウン管テレビが先日、とうとう力尽きた。そこで遅ればせながら、わが家も地デジの導入を実行した

 さりとて家でゆっくり見るゆとりもなく、家人の横からちらりと見る程度。たまたま見たそれにはアフリカらしき景色。鮮明な映像は一幅の絵を思わせる半面、当地の厳しい現実を美しい世界に変えていた

 世界の貧困の削減を目指すファンドがあることを知った(本紙23日付経済面)。途上国などの低所得の人々に少額の資金を無担保で融資する「マイクロファイナンス」と呼ばれる手法だ。月内にも日本で初の出資募集が行われるという

 私たちは日々、世界各地から発信される情報に接する。ただしその量が膨大だと、個々の情報は消費されていく。ハイビジョンの鮮明な映像は、付加価値の高い消費財でもあるが、その向こうには変わらぬ現実がある

  一片の情報に芽生えた関心を実体あるものにするには、主体的なかかわりという作業が必要だ。テレビが映し出す遠い国の貧困は、例えば前述のファンドにかかわることで、リアリティーを伴う出来事となる

 衆院選に関するマスコミ各社の世論調査に、有権者の意識の変化が映し出されている。それは政治が傍観する情報から主体的にかかわる現実へと変わる予兆でもある。(久高将己)

 大弦小弦 沖縄タイムス 2009年8月25日 
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「琉球絵画展」豊かな琉球画の世界がなぜ途絶えたのか・・・ 大弦小弦 八葉蓮華 [大弦小弦]

 驚きと感慨と課題―。県立博物館・美術館で開催中の「琉球絵画展」をキャッチコピー風に総括するとこんな感じになる

 まず驚き。王朝時代から近代までの沖縄にこんなに多くの絵師がいたのかという驚きである。琉球史のテキストなどで殷元良や自了らの名は知っていたが、展覧会図録巻末の人名事典に見るようにキラ星のごとく人材がいたのである

 次に感慨。会場なかほどに展示されている仲宗根真補の「首里旧城之図」。画面右上に沖縄縣琉球國首里舊城之〓とある。制作年を見ると1894年だ。廃藩置県から15年後ということになる

 つまり沖縄県になって15年たっているのに琉球国といっている。このことから何を想像するか。日本に組み込まれたが、沖縄はあくまで琉球国なんだ、というように聞こえるような気がする。中国と日本の間で揺れる心情と読みたい

 最後に課題。ではこうした豊かな琉球画の世界がなぜ戦後途絶えたのかである。現在の県画壇の状況は洋画中心の流れの中にあるといえる。そこにはほとんど琉球画の系譜はない。なぜなのか

 戦後から現在までの沖縄の美術は、ニシムイから沖展へという流れの中にある。その中心的な画家らは洋画家であり山田真山、金城安太郎らには光があたらなかった。なぜか。考えたい。30日まで。(真久田巧)
※(注=〓は「図」の旧字の口をとったもの)

 大弦小弦 沖縄タイムス 2009年8月26日 
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